圓通院門前 案内人は支倉常長さん?とっても楽しくお話ししていただきました。 松島湾を白砂で表現しています。 みんな〜!遅れず着いてきてね… 三慧殿に向かって  竹に雀 ・竪三つ引両 ・九曜. 伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い 伊達光宗公の厨子 白馬にまたがり衣冠束帯の光宗君と7人の像 約700年前の洞窟群 三慧殿から薔薇園へ続く道 薔薇の庭。その上に祖母愛姫の霊廟が望めます まだ咲いていました 紅葉をバックにはいっ! パチリ 圓通院を拝んで 震災後、本堂の屋根には石巻の葦が使用されているそうです 園通院境内 紅葉にちょうど良い季節に訪れました とっても綺麗な紅葉です 紅葉回廊を通り帰ります
平成28年11月16日(水)午前8時45分に米谷公民館を出発し松島圓通院へと 向かいました。
圓通院へは9時45分に到着し、すぐに支倉常長さん?とご対面。ガイドをお願いしました。
 伊達政宗の孫、光宗君は19歳の若さで亡くなった。 徳川幕府にとっては恐れるほどの逸材であったとのことだが、亡くなった原因については病死かどうかは定かでないそうだ。
 父伊達忠宗公がその死を悼み、三慧殿を開創し370年前に完成した。
三慧殿には、光宗君とともに側近7人が一緒に眠っている。伊達家では家来を大切にしていたことが伺える一面が垣間見える。
 登米伊達家の高台院霊屋とともに桃山時代の最高建築と云われる三慧殿。しかし、三慧殿は3世紀半もの間公開されずに現在に至る伊達藩の秘蔵とされ、伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されている。
厨子には、支倉常長が西洋から伝えた日本最古といわれる西洋のバラが描かれ、緑青やサンゴを使用し永久に変色しない。 金箔もきれいに残り、とても豪華絢爛であった。登米町の厨子とは建築が同じであっても随分と違って見えた。
圓通院にはふるさと塾の閉講式を兼ね訪れましたが、受講生からこんな感想をいただきました。「講座の第1回目で登米伊達家の高台院霊屋を訪れましたが、最終回に当たり「同じ建築様式を持つ宗家の厨子を見学できたこと、紅葉の名称とされている圓通院を見学できたこと、そして登米町との繋がりなどとても勉強になりました」と大変好評でした。【主催:登米市米谷公民館】