国道398号線より   東和町米谷 東陽寺山門から    「米谷」地名の由来

 原田甲斐宗助首塚伝説    伝説の説明書    ここに眠る(安らかであれと)

 大イチョウの根本とは    天然記念物です

平成27年11月19日(木)とってもすがすがしい青空だったので、米谷の歴史探訪をしました。
三陸自動車道登米・東和ICを降りて国道398号線を米谷市街地へ進むとすぐ、米谷小学校手前に原田甲斐宗助の標柱が見えて来ます。
そこを右折し、東陽寺山門脇を通り後ろへ回ると「米谷地名の由来」の標柱があり、大昔ここから米が湧き出たとされる清泉があり、きれいな岩清水が今でも滴り落ちています。
その奥に伊達騒動でお家断絶となり、首をはねられた原田甲斐の首塚が大銀杏の木の前に堂々と姿を現します。銀杏の木は密葬された時の目印に植えられたといわれ推定樹齢約500年。今では樹高30m、幹周7.2m、枝張り24mにもなり、登米市の天然記念物となっています。
この墓が通称原田甲斐の首塚とよばれるもので、甲斐の七回忌に建立された供養碑があり、未だ逆臣といわれている時につくられたため、刻まれている人名はすべて偽名となっており悲しい歴史を物語っています。
今年は、紅葉がもう終盤でイチョウの葉が半分落ちかかっていました。ご住職からは2週間来るのが遅いと話されましたが、来年こそはスキッと晴れた青空のもと満開の大イチョウを見てみたいと思いました。(^。^)y-.。o○